2011年1月28日金曜日

Twitter分析:大晦日→元旦にかけての日本と世界

2010年大晦日→元旦にかけての日本語Tweet&世界Tweet

2010年大晦日→元旦にかけての日本語Tweet&世界Tweet

※日本時間で2010年12月31日9:00~2011年1月1日9:00の間を測定しました。
※赤が世界、青が日本のTweet数で、薄い線が12月1日~12月30日の平均Tweet数です。
※収集条件は、「Twitterにおける日本語投稿の一傾向分析」と同じ。


大晦日に盛り上がるのは、日本人の特性なのでしょうか?
年越しタイミング、いわゆる「あけおめTweet」が半端無いです。
日本語でのTweet数が、世界でのTweet数に直接的に影響を与えているのが見えてきます。

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2011年1月26日水曜日

Twitter分析:2011年アジアカップ(韓国戦)での日本語Tweet状況

2011年1月25日、日本-韓国戦、日本時間22:20キックオフ、2-2でPK3-0で勝利

2011年アジアカップ(日本-韓国戦)での日本語Tweet数

※今回は、人物ごとのTweet数は出していません。
※試合時間の関係で、グラフ表示は、時間をずらしてあるので注意
※収集条件は、「Twitterにおける日本語投稿の一傾向分析」と同じ。

韓国戦と言うこともあって、大変な盛り上がりでした。

基本的なパターンは、『Twitter分析:2010年ワールドカップ(パラグアイ戦)での日本語Tweet状況』のグラフと同じです。
(Tweetの収集数は、TwitterStreamingAPIの仕様変更のため異なります。数的には約1/5になっています。)

ゴールタイミングなどにより、個々のピークの位置は微妙に異なりますが、逆に、Tweet頻度からそれを判断できることが見て取れます。

それにしても、サッカーへの日本人の関心の高さがよくわかります。

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先日(2011/1/24)のクローズアップ現代(NHK)を見て

クローズアップ現代  2011年 1月24日(月)放送
飛び出せ!“異能”~日本の閉塞感を打ち破れ~

ホットリンクの内山氏がピックアップされていた。
全世界のブログ情報を解析して、それから株価の変化を導きだそうという発想によって、支援をもらえたという趣旨だった。実際の効果も確認されているんだろう。

はっきり言って、これを聞いたときに、「やられた」と思った。
同様のことは、実は考えたことがあった。
番組中でも、外国で類似の発表がなされていることが報告されていた。
解説では、同じアイデアは同時に3人が思いつくと考えていいので、いかに早く高性能なものを創り上げるかにかかっているということだった。

このホットリンクの話を、会社の同僚にしてみた。
社内でも人工知能的な話についてはかなり話が通じる人で、想いを共感できるかと思っていた人物だった。
彼も、この番組を見ており、話を振ってみたが、返ってきたのは
意外にも「(株価の予測なんて)そんなに簡単にいかないよね」という返事だった。
「それ面白いそうだね」という反応を期待していたのだが、そうではなかった。

彼にして、この反応ということが、日本で『異能』の者が活躍することができない理由を端的に表しているように思う。

すなわち、『異能』あるいは『異質』なものに対しては、まず否定が出てくる。なぜだか皆、うまくいかない理由をさがそうとする。
肯定的とは言わないまでも、ニュートラルな視点から見ることができない。可能性を論じることができない。

たしかに、このアイデアはある意味「ラプラスの悪魔」に近いものかもしれない。
あらゆる情報の中から、必要な相関を取り出して、未来を予測する。
さて、必要な相関を見つけることが、容易にできるだろうか?

株価について言えば、何らかの相関はあるのではないかと思っている。
ある特別なイベント(戦争とか、油田事故とか)との関連は容易に想像できると思うが、ある種の目に見えない法則があるかもしれない。
だが、自分にはまだみつけられていない。

これもまた、「成功するのは続けている人」ということなのかもしれない。